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SKYSTORY 教育 王のフクロウ

作品と作者の関係について

こんにちは。『SKYSTORY』メンバーのフクロウです。

今回は、

本記事テーマ

作品『SKYSTORY』について私なりに考察して、作者に伝えた結果

についてです。

まだ『SKYSTORY』という作品は完成していないので、様々な考察が行える状況。

私(王のフクロウ)も楽しみ考察している一人です。



では、この考察を作者(小石のような男)がどのように考えているのか

さっそくお伝えしていきます。

作者の考えと異なることについて




まず、作られたものに対し、作者の意図の存在を前提とせずに、物語を解釈ができます。

分かりやすく、例を挙げてみます。

例えば

「現代文の小説の問題を、その小説の作者が解いたら、酷い点数をとった」

「国語の授業で、この時の作者の気持ちを答えなさいという問題で、作者本人が『そんなこと考えてないぞ』と言った」

他にも、難解な作品のファンが、多くの根拠を集め作品を深く考察して発表した。

そして私(フクロウ)の考察も小石のような男に以前話したことがありました。

しかし、制作者はそんなことを考えておらず、好きに考察してほしいと言われた。

「作品において、作者はほとんどの文を意識的に書いており、作者が提示した解釈に従わなければならない」

という一つの考えがあります。

現代、日本ではこの考えを絶対と考える人が多いように感じます。

しかし、小石のような男は「そうではない」と語ります。

「作者」という概念が死んだとき、書物は読者の中で永遠に書き続けられるのが最高の形。

と聞いて驚き、共有させてもらいました。

これを読んでいる皆様もぜひ『SKYSTORY』を色んな角度で考察してみてはいかがでしょうか。

本記事まとめ

幸いにも、私は完全に死んだ 

by ステファヌ・マラルメ

それでは次回の記事でお会いしましょう👋